【鉱石の道】鉱ざんまい!【銀の馬車道】その1
お久しぶりです。
今回、『近代化産業遺産明治浪漫探訪ツアー』に参加してきました!
ん?ん?ってなる方のため私なりに説明しますと、エンジョイ鉱山!です。
【鉱石の道】とは明延→神子畑→生野銀山をつなぐ道の事です。
【銀の馬車道】とは生野銀山から飾磨港(姫路港)をつなぐ道です。
本来なら二つの道に分かれているのですが・・・
同時に巡りましょう!というものなんです!!
回った順番が、飾磨港→福崎町→生野→神子畑→明延ですがこれじゃ逆さになっていしまいますので、分かりやすく書いていこうと思いますのでこの順番とは異なりますのでご了承ください!
明延→神子畑→生野(鉱石の道) 生野→福崎町→飾磨港(銀の馬車道)となります。
それでは、探鉱である明延鉱山から!
この風景は久々ですね。こちらを訪れたのは去年の春でしょうか?
本来行った時間軸で言いますと、夕方です。ほんのりと夕日を背に感じながら中へ。
なんとなくですが、去年入った時より暗く感じました。外の影響かとも考えましたが、鉱山の中なのでそれはないかと。以前の記事でも書きましたが本来ならば奥に見える電球もなくヘッドライトで進むわけですからね。足元も一切舗装なしです。
目が慣れてくるもやはりくらい。中は、ひんやりとしており季節関係なく上着は必要になります。
明延鉱山は古く奈良の大仏にもその銅が使われていたと言いわれる程です。明治の終わりごろからスズとなりました。
ライトの奥には落石した岩があります。これ以上落ちてこないようなので安心してガイドの方の指示に従い見学に行ってくださいね。
こちらが分かれ道となります。この前やっていた「Aさんの話」で放送されていた場所はこちらです。こちらを左に進みます。
中には、当時使われていた重機等がありますので、是非自分の目で見てもらえたらと思います。
全部、綺麗に撮れてたら載せたかったのですが何せ暗くやはりシャッタースピードを変えても私の技術じゃ全部とれませんでした。
ずっと奥まで進むと出口です。実は、この奥ちゃんと出口は開いているのですが真っ暗です。
変だな、以前は近くまで来ると明るかったのに・・・と思ったらなんと雨!そして、もう真っ暗!
山の天気は変わりやすいですし、季節は冬の17時代!当時働いていた方もこのこの暗がりのなか歩いて家に帰ったのですね。さすがに、ライト無いと危ないと思いました。
それでは次に選鉱に行きましょう。
まずここにきて思った事は場違いにも広角レンズが欲しいということでした。
端がどうしても切れてしまいます!
こちらは、私のお気に入りのTシャツ神子畑Tシャツが販売されている神子畑選鉱所です。
モデルのシックナーさんですは相変わらずの可愛さです。
こちらが当時、生野銀山にあったフランス人技師・ムーセの旧居となります。中には選鉱所のジオラマや資料、お土産販売などされています。しかし、このムーセ旧居去年と何か異なります。
実は修理をしていたらしく普段なら見れない床下が見放題状態。かなり美味しい時期にやってきたようです。
そして、こちらの選鉱所の近くには神子畑小学校があります。しかしながら時間の都合上自由時間に行けそうになく断念しました。(原因は神子Tの色選びです。)
生野銀山へ場面を移す前に神子畑鋳鉄橋。手すりが低いので身の乗り出しは気を付けてくださいね。
では、製煉の役目を持つ生野銀山へ!
と見せかけての・・・・
お昼ご飯!ハヤシライスでございます。マロニエさんでいただきました。
生野銀山に赴任してきた都会の男たちの奥さんたちがハヤシライスを作ると、「こんなにおいしいものがあるのか!」と感動を受けたそうです。
そして二種類の味があります。30年代を家で食べましたがこちらの方がマロニエさんに比べ甘く感じました。当時を知らずとも「あーなんな懐かしい」と呟いてしまします。
1パック500円ですので、お土産価格では買いやすい類に入ると思いますよ。
世の中の婦女子の皆さまお待たせをいたいました。イケメンが沢山いることで有名な生野銀山です。
マロニエさんを出てすぐに入り口があります。
生野へは、以前ワンダーマッピングでお世話になりました。(奥銀谷の方を歩きました。)
バス移動だから行きやすいですが、結構電車個人だと車無い勢には厳しくなりますので本当ツアーは助かりますね。
入って少し進むと、いらっしゃいました!第一イケメンマネキン発見です!
生野銀山は1200年という歴史を持ち江戸時代は直轄鉱山、明治には日本初の官営鉱山になります。
生野銀山も明治以降には銅をとっていたそうです。
中はやはり寒いですが、観光地化されている為、中の道はきっちり舗装もされております。
どうりで、歩きやすいしヘルメットも被らないわけかと納得。
そして、このイケメンマネキンは手が動きます。
狭く暗い場所で仕事をなされています。このマネキンは横顔しかみれませんが、男気があふれています。私ならこんな暗いと自分の手を金槌でたたいてしまいそうです。
寒い寒いと言いなが歩いていますが、当時の人はどうだったのでしょう?やはり仕事をしていたら暑く感じるのかちょうどいいと感じるのか。いいや、それでも寒い気がしますね。
恐らく私の中で一番惚れたマネキンさん。今度から、好きな人はいるのですかと聞かれたら無言で写真を差し出したいと思います。
こちらは近代に近いスタイル。ちゃんと防塵マスクをしていますね。
こちらも近代スタイル。防塵マスクをしてもやはり全部を防ぐのは難しかったとガイドの方がお話してくださいました。肺の病気がつきものだった様です。
生野銀山はマネキンのイメージが強くマネキンを紹介しましたがちゃんと、当時使っていた機械も見ることが出来ますよ!こちらの巻き上げ機、今ならPC作業で出来る事を手動でやっていたそうです。
数字が書かれているのですが、手動で両サイド合わせるという至難の技!私が一日やってたら、精神力が足りないと思います。
さぁ、ここまでがいわゆる鉱石の道となります。
長くなりましたので一度、区切ります。
次回は、銀の馬車道を追っていましょう!
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