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【鉱石の道】鉱ざんまい!【銀の馬車道】その2

さて。
ここからは、【銀の馬車道】となりますね。
生野銀山から飾磨港(現姫路港)に銀が運ばれます。

三木家付近馬車の道 


こちらが当時の銀の馬車道です。馬車に合わせて石が敷いてあります。

マンホール 

福崎町のマンホールです、どうぞ、おおさめくださいまし。

銀の馬車道案内図 

道なりにはこうなります。ここにはとても個性的なゆるきゃら的存在がいるのですが後にしまして・・・

三木家 

まだ、公開されておらず特別に見せて頂きました庄屋の三木家です。中から撮影してますので目の前が馬車道となります。
銀の馬車道の為に土地を提供し門が少し小さくなったとお話を聞きました。

三木家内部 

入って左がお庭。素直にもう、好きです。好きと以外に例えがありません。
中もすごい素敵なんですが、話が長くなるので一部だけ。また、どこかで1枚写真乗せるかもしれませんけどね。

そして、外へ出て上記の馬車道を通りますと案内掲示板があるわけです。
掲示板を少し通り過ぎ左に行くと、個性的なゆるキャラ的な存在がいる池に着きます。

ゆるきゃら 

こんな感じで、ボスがいるわけです。天狗さんからはもうダンジョンボスの空気しか漂ってこないですね。そしてこちらのカッパの名は兄の河太郎(がたろう)。

河次郎 

弟は河次郎(がじろう)。池に住んでいます。
なんで、カッパ?と少し調べてみました。

簡潔に言いますと、近くに市川という川が流れておりそこの岸に駒ヶ岩と呼ばれる岩がありそこに兄弟で住んでいました。そして川に遊びに来る子ども達の尻小玉を抜く為に子ども達は怖がり近づかなくなりました。それを後悔して、夜な夜な日本民族学の父と呼ばれ柳田國男先生に謝ろうとここへやってきました。待っている間、兄の池のほとりで。弟は皿が乾くと池の中で待っていました。
それは何年と続き、兄は皿の水が固まり動けなくなって固まります。弟はこうやって池にいるので大丈夫だったため待っています。(※という設定です。)

・・・・おう?

よし!この兄弟の事は分かった!最後に、尻小玉抜かれるかもしれませんよ?と書いている以外、不穏な空気は無い!というか、反省しつつもやっぱりカッパにとって尻小玉って美味いもんなんでしょうね。池に来ても河次郎さん食べてますし。ちょっとお兄さんの設定は辛い。弟よ、助けてあげて!
河次郎は15分置きに池から顔を出してくれます。そして、ちょっとした観光地になっており観光バスが止まっていました。

・・・あの、天狗さんは・・・?

天狗 

いるんですよ。池から少し上に上がったところに小屋があるんです。こっちはよく時間帯分らないんですが行った時見れました。何故かね、どら焼き食べてるんです。
そして、こっちは話します。小屋に入るとセリフにバリエーションがありつぶやきます。
しかも、出てきて一時停止をしてくれるサービスショットタイムもあります。一度戻ったと思えば戻ってきてくれるくらい親切です。

天狗やカッパの発想はどこからとまたさらに調べますと、先程名前を出しました柳田國男先生著者の「妖怪談義」からきているようです。少し謎が解けてよかったです。

柳田國男家 

そしてこちらが柳田國男先生の生家です。

柳田説明 

先生は「日本一小さい家」とおっしゃっています。
江戸時代の中期の建築と考えられ当時の一般農家の基本的平面を持つ民家とし貴重です。
中に入ってみた感じ、雰囲気あっていいなぁと思いますが確かに今の生活に慣れている私にとっては住むには辛いでしょう。

洋風館 

こちらは生家をもう少し上に上がった場所にある民俗資料館。

(こういう感じの建築)好きでしょう?と聞かれ、大きく頷きました。
左下の二番目の窓のさらに一番下の右側・・・入り口に一番近い小さな窓だけ、波打っている様に見えました。他の窓はそうでもなかったのですが・・・気のせいかもしれませんけどね?
中は、学校に似た匂いがしてとてもいいです。(※個人の感想です。)
文献等が置いてあります。

それでは、鉱石の道に戻ります。ここから、飾磨港まで!


飾磨港 

こちらが飾磨港となります。

飾磨港説明 

こちらが飾磨港の説明となります。書くより分かりやすい!それが、案内板です!
簡潔できれいで、無駄のない!それが案内板です!

倉庫跡 

そしてここの案内板に載っている場所がすぐ近くに見えます。
これは・・・イギリス積みですね!
このふさがっている場所から荷物の出し入れをしていたと思われます。
実は今は会社の壁の一部でして、あまりうろつくとよろしくないみたいです。
出来る事なら、中も見てみたいです。

自販機 

道中には、良い感じの自販機があります。
ここが一番、お金使いたい衝動に駆られましたがなんとか耐えました。

以上が鉱石の道・銀の馬車道のツアーでした!
二つのコースを一日でまわるとう何とも美味しいツアーですね。

下からは私の感想となりますのでお暇でしたらお付き合いください。↓

改めまして、桜木はるかです。
実はですね10月にあった生野ルートダルジャンや、駒ヶ林の町歩きにも参加させていただく予定でした。しかし、10月に丸1カ月程体調を崩すという大ハプニングが起きまして・・・・。
仕事は行きましたがこれはどううにも行って楽しめないぞ?良い記事が書ける気がしない・・・そして、絶対乗り物乗ったらあかんやつ!と判断して休日は家で過ごしていました。
原因は恐らくPM2.5ではないと思われます。10月の後半までずっと自力で治そうと思いましたが限界で病院で薬もらうと良くなりました。病院は行くべきだなぁと感じた月です。

今回のツアーは復活記念でありとても快調に楽しませて頂きました。
少しでも、距離や仕事・用事で行けなかった方が楽しめる様に。興味はあるけど行くのに迷っている方への参考になれば幸いです。

本来ならもう少し早く投稿したかった2部構成ですがなかなか感覚が戻らず時間がかかり楽しみにしてくださっている方には大変お待たせを致しました!

最後になりますがツアー関係者様・参加者の皆さまお疲れまでした!
またどこかでお会いすることがありましたらよろしくお願い致します。
そして、ここまで読んで下さりありがとうございます。脱字・誤字・不明文に関しましては少しづつなおしていきますのでご了承ください。

次回の予告。

ー未成線。

それは、実現されなかった路線。

そばあり、海あり山あり、廃校あり、未成線あり!そして、感動ありの今年最後の1泊2日。

宣伝用 




tag : 銀の馬車道福崎町飾磨港

【鉱石の道】鉱ざんまい!【銀の馬車道】その1

お久しぶりです。
今回、『近代化産業遺産明治浪漫探訪ツアー』に参加してきました!

ん?ん?ってなる方のため私なりに説明しますと、エンジョイ鉱山!です。
去年、初鉱山デビューである明延鉱山神子畑選鉱所・イケメンマネキンが仕事をしている生野銀山に行けちゃうツアーなんです。

【鉱石の道】とは明延→神子畑→生野銀山をつなぐ道の事です。
【銀の馬車道】とは生野銀山から飾磨港(姫路港)をつなぐ道です。

本来なら二つの道に分かれているのですが・・・

同時に巡りましょう!というものなんです!!

回った順番が、飾磨港→福崎町→生野→神子畑→明延ですがこれじゃ逆さになっていしまいますので、分かりやすく書いていこうと思いますのでこの順番とは異なりますのでご了承ください!

明延→神子畑→生野(鉱石の道) 生野→福崎町→飾磨港(銀の馬車道)となります。

それでは、探鉱である明延鉱山から!

明延鉱山 

この風景は久々ですね。こちらを訪れたのは去年の春でしょうか?

明延鉱山への詳しい説明や写真は過去の私の記事を参考にお願いいします。→明延鉱

本来行った時間軸で言いますと、夕方です。ほんのりと夕日を背に感じながら中へ。

明延鉱路 

なんとなくですが、去年入った時より暗く感じました。外の影響かとも考えましたが、鉱山の中なのでそれはないかと。以前の記事でも書きましたが本来ならば奥に見える電球もなくヘッドライトで進むわけですからね。足元も一切舗装なしです。

明延鉱路1 

目が慣れてくるもやはりくらい。中は、ひんやりとしており季節関係なく上着は必要になります。
明延鉱山は古く奈良の大仏にもその銅が使われていたと言いわれる程です。明治の終わりごろからスズとなりました。

落石後 

ライトの奥には落石した岩があります。これ以上落ちてこないようなので安心してガイドの方の指示に従い見学に行ってくださいね。

分かれ道 

こちらが分かれ道となります。この前やっていた「Aさんの話」で放送されていた場所はこちらです。こちらを左に進みます。
中には、当時使われていた重機等がありますので、是非自分の目で見てもらえたらと思います。
全部、綺麗に撮れてたら載せたかったのですが何せ暗くやはりシャッタースピードを変えても私の技術じゃ全部とれませんでした。

出口 

ずっと奥まで進むと出口です。実は、この奥ちゃんと出口は開いているのですが真っ暗です。
変だな、以前は近くまで来ると明るかったのに・・・と思ったらなんと雨!そして、もう真っ暗!
山の天気は変わりやすいですし、季節は冬の17時代!当時働いていた方もこのこの暗がりのなか歩いて家に帰ったのですね。さすがに、ライト無いと危ないと思いました。

それでは次に選鉱に行きましょう。

シックナー 


まずここにきて思った事は場違いにも広角レンズが欲しいということでした。
端がどうしても切れてしまいます!
こちらは、私のお気に入りのTシャツ神子畑Tシャツが販売されている神子畑選鉱所です。
モデルのシックナーさんですは相変わらずの可愛さです。

ムーセ 

こちらが当時、生野銀山にあったフランス人技師・ムーセの旧居となります。中には選鉱所のジオラマや資料、お土産販売などされています。しかし、このムーセ旧居去年と何か異なります。

ムーセ工事中 

実は修理をしていたらしく普段なら見れない床下が見放題状態。かなり美味しい時期にやってきたようです。
そして、こちらの選鉱所の近くには神子畑小学校があります。しかしながら時間の都合上自由時間に行けそうになく断念しました。(原因は神子Tの色選びです。)

神子畑橋 

生野銀山へ場面を移す前に神子畑鋳鉄橋。手すりが低いので身の乗り出しは気を付けてくださいね。

では、製煉の役目を持つ生野銀山へ!

マロニエ 

と見せかけての・・・・

ハヤシライス 

お昼ご飯!ハヤシライスでございます。マロニエさんでいただきました。
生野銀山に赴任してきた都会の男たちの奥さんたちがハヤシライスを作ると、「こんなにおいしいものがあるのか!」と感動を受けたそうです。

生野ハヤシライス 

そして二種類の味があります。30年代を家で食べましたがこちらの方がマロニエさんに比べ甘く感じました。当時を知らずとも「あーなんな懐かしい」と呟いてしまします。
1パック500円ですので、お土産価格では買いやすい類に入ると思いますよ。

生野銀山入り口 

世の中の婦女子の皆さまお待たせをいたいました。イケメンが沢山いることで有名な生野銀山です。
マロニエさんを出てすぐに入り口があります。
生野へは、以前ワンダーマッピングでお世話になりました。(奥銀谷の方を歩きました。)
バス移動だから行きやすいですが、結構電車個人だと車無い勢には厳しくなりますので本当ツアーは助かりますね。

マネキン1 

入って少し進むと、いらっしゃいました!第一イケメンマネキン発見です!
生野銀山は1200年という歴史を持ち江戸時代は直轄鉱山、明治には日本初の官営鉱山になります。
生野銀山も明治以降には銅をとっていたそうです。

マネキン2 

中はやはり寒いですが、観光地化されている為、中の道はきっちり舗装もされております。
どうりで、歩きやすいしヘルメットも被らないわけかと納得。
そして、このイケメンマネキンは手が動きます。

マネキン3 

狭く暗い場所で仕事をなされています。このマネキンは横顔しかみれませんが、男気があふれています。私ならこんな暗いと自分の手を金槌でたたいてしまいそうです。

マネキン4 

寒い寒いと言いなが歩いていますが、当時の人はどうだったのでしょう?やはり仕事をしていたら暑く感じるのかちょうどいいと感じるのか。いいや、それでも寒い気がしますね。
マネキン5 

恐らく私の中で一番惚れたマネキンさん。今度から、好きな人はいるのですかと聞かれたら無言で写真を差し出したいと思います。

マネキン6 

こちらは近代に近いスタイル。ちゃんと防塵マスクをしていますね。

マネキン7 

こちらも近代スタイル。防塵マスクをしてもやはり全部を防ぐのは難しかったとガイドの方がお話してくださいました。肺の病気がつきものだった様です。

巻き上げ機 

生野銀山はマネキンのイメージが強くマネキンを紹介しましたがちゃんと、当時使っていた機械も見ることが出来ますよ!こちらの巻き上げ機、今ならPC作業で出来る事を手動でやっていたそうです。
数字が書かれているのですが、手動で両サイド合わせるという至難の技!私が一日やってたら、精神力が足りないと思います。

さぁ、ここまでがいわゆる鉱石の道となります。
長くなりましたので一度、区切ります。
次回は、銀の馬車道を追っていましょう!

tag : 明延鉱山神子畑選鉱所生野銀山

モノレールに未来の夢をみる。part2

シンポジウム

後半からは、市原先生が司会をされ話を進められます。

「モノレールの先進性と教訓」

まず、筑波大学の石田先生のお話。
石田先生は、交通や道路を専門とされている方です。

都市開発と連携し、大将軍駅や手柄山駅は年と共に生きていると言われました。
しかし、問題点があり常陽の減少や経営苦難、制度(補助)が悪く廃線に。
他にも自動車の使用が増えた事も関係するようです。

受け継がれているのは土木遺産や志。

解決策として挙げられたのは、高齢社会に伴い公共整備。つまり、公共機関を使ってもら機械を増やすという事です。そうすれば、歩く機会も増える為町が賑わい活性化にも繫がる案です。
今私は、車を持っていないので公共機関や自転車徒歩しか移動手段ない人はあり前のようにそうしていますが、車を持ったら利用しようと考えないと思います。
自分で運転した方が早いし、時間にも縛られないですからね。きっとこういう考えからだんだんと需要が減っていくのですね。
・・・・難しいところです。

話手は代わり続いては、知る人は知る神岡鉄道を「レールマウンテンガッタン号」の田口氏。
神岡鉄道を私が説明するより分かりやすい公式サイト様はこちら

こちらガッタン号、開始時は地元の人や撮り鉄向けが来ることを期待しするもなんと、興味を持ったのは、ファミリー層や大人の贅沢度が好きな人々という違う方向にという話がとても興味深いです。

モノレールの活用についてはこう述べられています。

・注目されている今がタイミング。
前回の岡田先生がお話されていた様に遺産になる目安は50年。逃せばまた数十年待たなければならなくなり、それこそその時の価値観がまた変わってしまうかもしれませんね。

・壮大なストーリーをどこまで見せられるか?
廃線までのドラマだと言われてました。
「こに50年モノレールが走っていたんだよ。」と言われ好きな人はそこからさらに食いつきますが、特に興味のない人からすれば「へぇー」くらいなもんで、そこで終わってしまいますもんね。
私も誰かに説明するときは、簡単でも良いのでどういう経緯でここにそれが出来たのかを話す様にしています。
これこそ、夢の語り部でしょうか?

・主となる人達が思う存分「バカ」になる。
一番、私の中で好きです。どれだけ、人から無駄やできるわけないと言われる無茶なことをやるという、やっていいと言われている様で勇気をもらいました。
主より脇に居たいのが、私なんですけどね!?

話し手は代わりまして、ZIPで知る方が多い斎藤雪乃氏。

モノレールの活用についてとても、面白い提案を沢山されました。

・スマホをかざすと、昔の風景が見えるAR対応。

それは、見たい。一体を昔の風景見れるようにして歩くのは楽しそうです!
あぁ、ただ、歩きスマホは危ないから一部になりそうですね。でも、見たい!

・残っている柱をロープっで繋ぎスキーリフトの様に活用

これなら高齢者も乗れるのではと提案されました。
これに対し、岡田先生が「海外ではロッククライミングとして使用されている例」を紹介してくださいました。登りごたえありそうですね。町の中で六クライミング面白そうです。

・もっと知ってもらう為にレプリカ車両を人目の付く場所に置く

例として姫路駅があげられました。
此方は、後でお客さんとの意見交換で言われた事ですが「モノレールを手柄山駅まで見に行く機会が少ない」と。
モノレールは山の上にあり、水族館と隣接しています。歩いた私の感想ですが、一番初めに手柄山へ行った時公園に着くまでが既に坂道なんですよね。そこからさらに上に登るわけですから、確かに興味をない人に勧めても行く気にはならないと思います。
一番初め、行く道中はもうここに来ることは無いだろうとも思いましたがまぁ、見事ロッピーという運命の出会いをしてしまい三度目ですけどね!

駅に置けば、宣伝効果は高いですし何より子どもの目にも付きやすいのではないでしょうか?
よく話しますが学生時代、どうやって人を集めるかの授業でターゲットを子どもに絞る例を教えてもらいました。子どもを連れて家族がその場所へ訪れる、子どもが喜ぶとまた来るという連鎖があると。
後は、今注目されている姫路城周辺でしょうか。上手く連鎖して欲しいですね。

ここで、市原先生が「モノが残らないと議題になりにくい。」とより一層残す事の大切さをお話されます。記録からも調べることは可能な事もありますがやはりモノが残っていないと遺産にはなりづらいのですね。
ノート取りながら、私はまだまだ知らなければならない事が多いなぁと感じました。

最後はモノレールを提案した前市長の三男であり現市長である石見市長のお話。

石見市長もこれまで様々な活用を提案されてきました。

・モノレールにネットをはって慰霊塔まで歩く計画。

→しかし、危ないため断念されます。

・柱を使いソーラー風力発電を計画。

→しかしこちらも工事費がかかる為断念。

そして、現在は緑化を行っています。

私の作った大将軍駅の動画を見て下さると分かるのですが最後の部分に写っていた緑色の柱。
実はあれは、もともと橋脚なのです。

石見市長の理想としては、来るまでは無くモノレールを使って通勤や通学をしてもらい歩く町にしたいとのことでした。

これは学生時代、営業されている方に聞いたお話なのですが都会になる程、車を使うより歩いたり公共機関を使う方が移動が楽だといわれていました。

となればやはり、公共整備に力を入れるべきなのか・・・?
そして、姫路駅や姫路城の周辺でもっと宣伝していくことが大事ななのか・・・?
と、知識の少ない頭を悩ませました。

以上でお話が終わり意見交換会が始まります。

・姫路モノレールに乗っているバーチャル体験
という意見があり個人的に一番惹かれました。VR・・・いいんじゃないかな?って。

・ガイド付ツアー、人材育成。

色々なワークショップに参加させて頂いていますが共通の意見です。
ガイドブックがあっても、直ぐに読む気にならないのでしょうか?それに、やはり知ってる人や、当事者から聞く話の方が価値観が感じられますよね。
それに、またそれを知人に説明して進めるときとても説明しやすいと私は思います。

そして、残念ながら撮影は出来なかったのですがシンポジウム受付手前に小学生が行ったワンダーマッピングの発表が展示されていました。
そして、その学校の先生がシンポジウムに参加されており感想をお話してくださいました。

「子どもの目線が面白い」と。

モノに着ける名前や以意外な場所から見つけてくるそうです。
子どもと大人の目線で世界は大きく変わると言われますが、それは子どもの特権ですね。

最後に纏めとし、市原先生が「連携をとり継続していくことが大事。シンポジウムを行う等」とおっしゃられ、今回のシンポジウムは終わりました。

貴重なお話ありがとうございました。そしてここまで読んで頂きありがとうございました。自分なりに、丁寧に書いたのですが至らない部分も沢山あると思います。失礼な表現がありましたら、申し訳ございません。関係者様、参加者様お疲れ様でした!また、どこかで機会がありましたらよろしくお願い致します。
ここから下は私事になりますので暇な方だけどうぞ。

後半お待ちいただいた方々、大変お待たせ致しまして申し訳ございませんでした!
思っていたより体調不良が長引き遅くなってしまいました。
原因は、PM2.5の影響説が一番有力です。薬のおかげで、随分回復しましたが記事書いている際も完全に回復していない状態ですので10月はあとわずかですが仕事と近場以外は安静にする予定です。
この記事を掛けたのも奇跡的な2連休のおかげです。
11月からはまた活動を始める予定ですのでよろしくお願いします。(後は企画を実行するだけ)

それでは、またよろしくお願い致します!

モノレールに未来の夢をみる。part1

 9月22日 姫路モノレールシンポジウムに行ってきました。
しかも、なんと!今回は、スタッフ!朝九時に集合と言う事で、久々のすごく早起きして現地へ。

※注意※

・人が多くはっきりと顔が映っている写真が多くあります。

・どうしても、これはやめてほしいという写真などがありましたらお手数ですが自己紹介の連絡先までお知らせください。

場所は、手柄山の麓にある文化センター。

文化センター 

かなり天気が悪く、この前日かなりの雨で心配でしたがとにかく到着までは雨に打たれず無事到着。
3回目となると、流石にだいたいの位置は分かると思いましたが、安定のGPSさんに連れてきてもらいました。

朝は打ち合わせして、配布のパンフレットを用意していました。

11時からは、モノレールの展示室で除幕式。なんと、ジオラマ公開があるのです。
スタッフの半分はここで分かれモノレール展示室へ。

姫路モノレール 

以前も使ったロッピーです。
そして、除幕式後に我慢できずロッピーに抱きついていたのは私です。

控えめに言って好き。

除幕式 
そう、こんな感じです。除幕式が始まるにつれて人がたくさん増えていきます。
そしてこちらが除幕式の一部動画です。
除幕式

スタッフとして参加したしお客さんの邪魔したら駄目だなぁって後ろの方で撮ってるので雰囲気が伝われば幸いです。

ジオラマ公開 

幕が撮れた瞬間、わぁー!と声があがり「見せて見せて!」と子どもの声や歓声。
あぁー、姫路モノレールへの愛が凄い。
このジオラマ凄い。しっかりと、手柄山駅からモノレールが走るのです。

手柄山駅 

手柄山駅側。
少しだけモノレールが見えますね。
これ、机に飾れるサイズがあるならすごく欲しい。

大将軍駅 

こちらは、大将軍駅側。
横には姫路駅が見えますね。

さて、除幕式も終わり文化センターに戻ろうとしますが・・・・

雨 

雨、雨、雨!!
あぁーもう少しでシンポジウムだけど大丈夫か!?と思いつつ控室に戻ります。
ロケ弁食べながら、スタッフ同士でわいわい。
話がずれるので、話せないのが残念ですが興味深い話を沢山聞いて自分の成長に大切なものをたくさん学ばせていただきました。

準備中 

シンポジウムの会場準備風景です。
ホールへ案内する前から事前申し込みの方々が並び始めていました。
当日枠の申し込みも、並び始めており雨でも来て下さりとても嬉しかったです。

シンポジウム 

そして、会場にはたくさんの人が来場してくださいました!

さて。ここからは、シンポジウムの内容を書いていきたいと思います。

まずは近畿大学の岡田先生のお話。

「モノレールの価値とは」 です。

お客さんに聞いてみると・・・

〇失敗例、広報的、子どもに伝えるといった意見があがりました。

そこで、先生が考える価値とはです。
大きく分けで4つ。

〇夢の語り部
〇歴史学習
〇廃墟景観
〇土木遺産・文化遺産 

まず、「夢の語り部」としての価値です。

・戦後の復活、戦災への想いです。
慰霊塔が手柄山にはありますね、ここまで復活したのは凄いことですもんね。
・そして、60年代に凄い盛り上がりを見せます。
モノレールで市内に環状線、臨海部~日本海まで広域的な大動脈等。
ならずじまいでしたが、出来ていれば大阪環状線の様に凄い事になっていたとおっしゃっていました。
モノレール開業後、姫路大博覧会が開催されます。さらにその4年後には大阪万博。
これは、姫路市が大阪に対する対抗ではないかとお話されておりとても興味深いです。
そのモノレールも営業苦しく、廃止となるのですが廃止の年に補助機制度が出来たそうです。
もう少し早ければ、復活していた可能性もとのことでした。

復活していたら今でもあったのかな・・・。そしたら、大将軍駅の様なアパートやお店が入った駅がたくさんあったかもしれないのかと考えると本当、夢の様な話ですよね!
・・・ロマンだ。

続いて「歴史学習」としての価値。

・先進的な都市構想
・未来に対する夢と希望
・明治以来の寵児
→花形近代遺産になる事は出来なかったが、記念碑的な構造物という事です。

夢の語り部の話ですね。こんなにも昔から輝いた未来の話があったのはとてもわくわくします。

次の話になりまして「廃墟景観」としての価値。

ここは私が一番待っていた話です。まさか、廃墟としての話を聞けるとは予想外でとても面白い。
廃墟好きが多く、かなりの廃墟本が発売されていると画面に映し出された本はだいたい知っていたり持っていたり。
2000年ごろに放送作家である町山広美さんが「廃墟の美がまぶしい時代」「マニア以外でも楽しめる、未来風景、SFの様な懐かしい風景」と言われています。

そうなんだよ!廃墟はみんな楽しめるものなんだ!って心の中で何度も言いましたよ私は。

ここで、廃墟先進国であるイギリスの話。

・イギリスでは廃墟の一部を文化財に登録しブランド化
・城跡を写生する子どもたち

一番、驚いたのは「人工的に廃墟をつくる。」と言う事。
廃墟をつくる、どこかで聞いた話だ。次の日、思い出しました。
それは学生時代に買った、三崎亜記著作の「廃墟建築士」です。

世界ってこんなにも広いのか、と感じました。地元から出たくないって思っていた自分が世界を見たいと思ったこの気持ちは大事にしていきたいです。

最後に「土木遺産・文化財」としての価値。

遺産となる目安は「50年以上」今年、姫路モノレールはちょうど50周年。
ブランド化して、活用し保存していくことが大事だと言う事です。
その為には市民へのアピールや町づくりの育成が大事と纏まられました。

一度ここで、区切ろうと思います。
次からは、岡田先生も加わり市原先生の進行で色々な方面で活躍されている方々がモノレールについて熱くお話されます。
お楽しみに!

【特別企画】さよなら、夢跡の廃駅【大将軍駅】

夏休み最後のこの日に、私の夏休みの宿題を公開します。
FBには先行公開してましたが、宿題といえばやはりこの時間だろう!という勝手なこだわりです。

※注意※

・お借りした動画様や本家様、他の動画様に迷惑をかける行為はおやめください。
・無断転載・加工はご遠慮ください。
・TwitterでのリツイートやFBのシェアとてもうれしいですが上の注意を添えて頂きたく思います。
・画面酔いにご注意ください。倍速を使用しております。
・今回は大将軍駅のダイジェストとして作成しました。
 ゆっくり見たい等希望があった場合なにか考えます。
・他にこの注意とか入れておいた方がいいとかあればお願いします。
・連絡はお手数ですが自己紹介記載先によろしくお願いいたします。

それでは長々と書きましたがよろしくお願い致します!
あ、ドロップボックスですので登録しなくても誰でもみれますので是非見てあげてください!


大将軍駅

tag : 大将軍駅/モノレール

プロフィール

桜木はるか

Author:桜木はるか
憧れの方々の背を追って一眼レフと色々頑張っています!主に廃的なモノを好み現在は産業遺産を巡っています。

まとめ主に好きなもの:写真・カメラ・廃墟・ニコ動・麻雀・お絵かき

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