北星社宅と神子畑選鉱場
今の相棒であるPCさん、頭いいのか全部だいたい一発変換してくれるので助かります。
では、行きましょうか!まず、北星社宅から!
この北星住宅結構写真を撮り気に入ったものたくさんあったのですが実は公開は控えてくださいゾーンなので公開できません!改修した長屋のほうならばいいのだろうか・・・・公開できないのが長屋もなのかプレコンのみなのか・・・と難しいとこなのでぜひぜひ自分の目で確認しに行きましょう!

北星社宅は、明延鉱山にあります。この写真殺風景だなぁと思われますが実は斜面全体に社宅が建っていたそうです。社宅の広さは家族構成であり、父母兄妹という四人家族でも兄が結婚してお嫁さんとさらに子どもが授かりともに住めば社宅の広さは広くなります。逆に出ていけば、部屋は狭くなりますし、いろいろと引っ越しが大変そうだなーとお話をお伺いしていました。
北星長屋社宅の方は、一部改修されており見学させていただきました。
そして、今回はなんとまだ、手を付けられていないという北星プレコン住宅も見学可能に!
この時点で、私は長屋に集中するだろうと考え、しかもまだ当時のままの姿であるプレコン側の許可!これは、先にこっちを攻めなければと、即座に向かいました。(廃テンション)
再びバス酔い忘れ駆け出すはるか氏。
ふと後ろを見れば、結構な人数の方がプレコンへ向かっており「やっぱりこっちからですよね!」と合点があった。
集合してから聞くと改修された長屋は置き去り状態だったそうです。主催さんとガイドさんは予想外だったみたいですね。
さっきから言っているプレコンってのは、「プレキャストコンクリート」の略です。
概要は、現場で組み立て設置を行うため、工場であらかじめ製造されたコンクリート製品とあります。(WIKIより)
実は、本物の廃墟という表現はおかしいですが、本格的な廃墟がここになり良かったです。
わざと、一人になるようにしてみたり一人廃墟気分を楽しんだりしてました。
もう少し見たい気持ちを抑え、いよいよ神子畑選鉱場へ。(そして始まるバス酔い)

見よ、これが神子畑選鉱場だ。竹田城より高いんですよ。いいですね、このグレー色!
神子畑も銀と銅を産出する鉱山とし開拓されておりましたが大正六年に閉山。
大正八年より明延鉱山から運ばれた鉱石の選鉱場となったと資料にはあります。明延鉱山と閉山と伴い閉鎖。
不夜城と呼ばれた東洋一の選鉱場だったそうですね。

そしてこちらは大きなシックナー。
見上げるとくらくらするほど大きいです。実は、このシックナーをモチーフにした神子畑Tシャツがまた可愛いこと!
写真載せたかったのですが、あいにく洗濯中で・・・最近お気に入りでよく着るんです。

この一枚は、主催者さんの一人である前畑温子さん著作である、女子的産業遺産探検で取られたアングルを意識した結果です。丁寧に、ここのアングルがーお教えいただいたのに、はるか氏が撮るとなんかちょっと違うんですよねー。
さて、話が脱線しない間に次行きましょう。

くらくらついでにこちら!インクライン!この斜面を走ると思うとちょっと緊張します。
一番上にある小屋が操作室らしく乗ってる人が手を上げると止めてくださるそうです。
はるかさんは、横についてる階段でお願いします!

じゃん!そして、ここにも一円電車が!こちらの車両は【わかば】です。
あれ?どうしてここにも?なんて、演技もういいですねはい。
そう昨日言ってた通り、明神電車は明延鉱山の「明」と神子畑選鉱場の「神」をとり明神電車なのです!(ドヤ)
これやりたさに、わかばさんここに持ってきました。いや、まぁ・・・神子畑の方だ、だからね?
気が済んだので次行きます。

ムーセ旧居!生野鉱山に作られたフランス技師達、外国人技師の宿舎です。
神子畑鉱山が開発されてから事務所として使われております。
現在の中は、当時の神子畑選鉱場の模型や写真利用があります。そしてオリジナルグッズも!
神子Tお勧めです!私は手ぬぐいは買うことを躊躇しましたが買っておいたら良かったと思い返して床ドンしたくなります。
他にも一円電車のピンバッジとか・・・これはまた行かなければ。


月間で組み立てれる神子畑選鉱場とか作ってくれたらいいなとか思います。月間じゃなくてもプラモデルにしたら、もっと人気出ると思ってるのは私だけでしょうか、私だけでしょうね。
さて、北星住宅と神子畑選鉱場はここまでです。
いかがだったでしょうか?次回はツアーレポート最終である神子畑小学校体育館跡と神子畑鋳鉄橋をお送りします。
明日もこの時間くらいに投稿出来ればいいですね!
では、行きましょうか!まず、北星社宅から!
この北星住宅結構写真を撮り気に入ったものたくさんあったのですが実は公開は控えてくださいゾーンなので公開できません!改修した長屋のほうならばいいのだろうか・・・・公開できないのが長屋もなのかプレコンのみなのか・・・と難しいとこなのでぜひぜひ自分の目で確認しに行きましょう!

北星社宅は、明延鉱山にあります。この写真殺風景だなぁと思われますが実は斜面全体に社宅が建っていたそうです。社宅の広さは家族構成であり、父母兄妹という四人家族でも兄が結婚してお嫁さんとさらに子どもが授かりともに住めば社宅の広さは広くなります。逆に出ていけば、部屋は狭くなりますし、いろいろと引っ越しが大変そうだなーとお話をお伺いしていました。
北星長屋社宅の方は、一部改修されており見学させていただきました。
そして、今回はなんとまだ、手を付けられていないという北星プレコン住宅も見学可能に!
この時点で、私は長屋に集中するだろうと考え、しかもまだ当時のままの姿であるプレコン側の許可!これは、先にこっちを攻めなければと、即座に向かいました。(廃テンション)
再びバス酔い忘れ駆け出すはるか氏。
ふと後ろを見れば、結構な人数の方がプレコンへ向かっており「やっぱりこっちからですよね!」と合点があった。
集合してから聞くと改修された長屋は置き去り状態だったそうです。主催さんとガイドさんは予想外だったみたいですね。
さっきから言っているプレコンってのは、「プレキャストコンクリート」の略です。
概要は、現場で組み立て設置を行うため、工場であらかじめ製造されたコンクリート製品とあります。(WIKIより)
実は、本物の廃墟という表現はおかしいですが、本格的な廃墟がここになり良かったです。
わざと、一人になるようにしてみたり一人廃墟気分を楽しんだりしてました。
もう少し見たい気持ちを抑え、いよいよ神子畑選鉱場へ。(そして始まるバス酔い)

見よ、これが神子畑選鉱場だ。竹田城より高いんですよ。いいですね、このグレー色!
神子畑も銀と銅を産出する鉱山とし開拓されておりましたが大正六年に閉山。
大正八年より明延鉱山から運ばれた鉱石の選鉱場となったと資料にはあります。明延鉱山と閉山と伴い閉鎖。
不夜城と呼ばれた東洋一の選鉱場だったそうですね。

そしてこちらは大きなシックナー。
見上げるとくらくらするほど大きいです。実は、このシックナーをモチーフにした神子畑Tシャツがまた可愛いこと!
写真載せたかったのですが、あいにく洗濯中で・・・最近お気に入りでよく着るんです。

この一枚は、主催者さんの一人である前畑温子さん著作である、女子的産業遺産探検で取られたアングルを意識した結果です。丁寧に、ここのアングルがーお教えいただいたのに、はるか氏が撮るとなんかちょっと違うんですよねー。
さて、話が脱線しない間に次行きましょう。

くらくらついでにこちら!インクライン!この斜面を走ると思うとちょっと緊張します。
一番上にある小屋が操作室らしく乗ってる人が手を上げると止めてくださるそうです。
はるかさんは、横についてる階段でお願いします!

じゃん!そして、ここにも一円電車が!こちらの車両は【わかば】です。
あれ?どうしてここにも?なんて、演技もういいですねはい。
そう昨日言ってた通り、明神電車は明延鉱山の「明」と神子畑選鉱場の「神」をとり明神電車なのです!(ドヤ)
これやりたさに、わかばさんここに持ってきました。いや、まぁ・・・神子畑の方だ、だからね?
気が済んだので次行きます。

ムーセ旧居!生野鉱山に作られたフランス技師達、外国人技師の宿舎です。
神子畑鉱山が開発されてから事務所として使われております。
現在の中は、当時の神子畑選鉱場の模型や写真利用があります。そしてオリジナルグッズも!
神子Tお勧めです!私は手ぬぐいは買うことを躊躇しましたが買っておいたら良かったと思い返して床ドンしたくなります。
他にも一円電車のピンバッジとか・・・これはまた行かなければ。


月間で組み立てれる神子畑選鉱場とか作ってくれたらいいなとか思います。月間じゃなくてもプラモデルにしたら、もっと人気出ると思ってるのは私だけでしょうか、私だけでしょうね。
さて、北星住宅と神子畑選鉱場はここまでです。
いかがだったでしょうか?次回はツアーレポート最終である神子畑小学校体育館跡と神子畑鋳鉄橋をお送りします。
明日もこの時間くらいに投稿出来ればいいですね!
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